不思議なメンタリティ

半分水が入ったコップ

コップに水が半分あるとき、

あなたは「まだ半分ある」と考えますか?

それとも「もう半分しかない」と考えますか?

これは「思考が楽観的か悲観的か」を考えるときにいつも出てくる喩えですが、器を半分の大きさにすれば水は満タンになるというのはさておき、どう考えるかはそのときの状況にもよるでしょう。注ぎ足せる状況にあれば「まだ半分ある」と思うかもしれないし、そうでなければ「もう半分しかない」と思うかもしれない。

人は誰しも相反するふたつのものが同居した、ある意味で矛盾した存在であると思います。それに往々にして状況により考え方は変わる。だから「そういうとこあるよね」というのはあっても、ひとつのことをもって「こういう人だ」と決めつけることはできない。
相反するふたつのもののどちらがより多く出る傾向にあるかということで性格のようなものがなんとなく決まるような決まらないような、そんな感じになるんじゃないでしょうか。

何故か比較的楽観

それはそれとして、ぼくは結構ネガティブで悲観的なものの捉え方をする質です。しかもメンタルは情けないくらい弱い。打たれ弱さには自信がある。
ところがこれまでも散々書いてきたように、こと脳動脈瘤については不思議とそれほど強い不安も恐怖もありません。むしろ楽観視している。どうしてこんなに呑気に構えていられるのか。明日破裂するかもしれないのに。

それを自分でも不思議に思うことがあります。

最初は正直「参ったな、めんどくせえな」と思いました。
単によくわかってなかったのかもしれない。

前年の12月28日に受診した脳ドックで、2016年1月26日に「右中大脳動脈分岐部に脳動脈瘤が見つかったから精密検査を勧めるよ」という結果が出た。できちゃったものはしょうがないがしかし。

「手術入院やリハビリで数週間休んでるヒマはねえ」と思いました。
できる努力をしていけば時間は稼げると思いました。

開頭クリッピング手術を勧められても流石にその場で答えは出せない。手術そのものはいずれ受けるつもりだが、その時期を決められない。せいぜい気をつけることしかできないが、どうにかなる。

不安や恐怖がないわけではないけど、「考えすぎる方がよくない」と思いました。
ちょうど血圧や血液の状態もよくなってきていたので、「まだなんとかなる」と思いました。

手術の合併症への不安、手術の恐怖感は当然あるがそれは致し方ない。腹をくくるしかない。破裂の不安や恐怖はそれほどでもない。なぜなら破裂させないための対処をしているし、するから。

脳動脈瘤に微妙な変化がなければまだ経過観察していたと思います。
「しょうがねえ、(手術)やんなきゃだめか」という感じ。

2017年11月8日、手術日決定。ぼくの場合どうやら1年半ほどが経過観察期間の限界だったようだ。こうなりゃやるしかない。早速予約をしたが諸般の事情により選択肢はひとつだけ。

改めて考えてみても、「そんなに大変なことじゃないよな、だって破裂してねえんだもん、摘まめば破裂しないもん」と思った。

未破裂脳動脈瘤が見つかっても突然の破裂にみまわれることを考えればむしろ幸運、対処する機会に恵まれたということ。慌てることはないし悩んだり落ち込んだりしないことが大事なんじゃないか。

自分ではそのつもりはないけれど、人によってはこいつ脳動脈瘤を舐めてると感じたり、この能天気さを苦々しく思う人もいるかもしれません。

でもフとしたときに「今破裂したらどうなるかな」って考えたこと、右のこめかみの辺りに微妙な違和感があって「あ、これはヤバイのかな」と思ったことは何回もありますよそれは。

いい意味で諦めがいいのか、開き直りなのか、よく理解していないのか、嫌なことから逃れたいだけなのか、(こうしてブログを書くことも含め)楽観視したい大丈夫だと思い込みたいという心理が働いているのかもしれない。

捉え方その1

ところで、破裂確率が1%だの3%だのと聞いたとき、一瞬なんだその程度かと思った後に100人中何人かと考えてからようやく真面目に考え直したりしました。
だけどそれで精神的ダメージはありませんでした。
それを多いと見るか少ないと見るかの問題だと思いました。

多いといえば多いし、少ないといえば少ない。

この破裂確率の統計的数値がどのようにして出たものかはよく知らないけれど(めんどくさくて調べる気にもならない)、これは処置しなかった人が母数のはずだから(破裂したということはそういうこと)、脳動脈瘤持ち全員を母数とするなら確率はもっと低くなる。
それに破裂についてもいろんな因子や変数がありそうだ。
要するにこれはあくまでひとつの目安に過ぎない。
ただいずれにせよ処置していない以上、今この瞬間に破裂するかもしれないし一生破裂しないかもしれない。
間違いないのは、それが誰にもわからないということだけ。
そういうのはわかんないからめんどうくさくなって考えるの止めました。
誰にもわからないことをおれが考えたところでわかるわけがない。

捉え方その2

捉え方の問題で言えば、未破裂脳動脈瘤が見つかった場合に、それを破裂リスクに怯えなければならないと見るか、破裂を未然に防ぐ機会を得たと見るか、ということもあります。

もしかしたら未破裂脳動脈瘤が見つかるかもしれない脳ドック。これを受けた方がいいのか、はたまた受けない方がいいのか。それは個々人の考え次第だが、見つかれば対応のしようがある。

それはめんどうくさくないので少し考えてみましたが、本当は水がもう注ぎ足せない状況でも「まだ半分ある」と考えられる人が本当にメンタルが強い人なんですよね。
そうじゃなくてだいたいいつも「もう半分しかない」と考えるぼくが、未破裂脳動脈瘤発覚を幸運と捉え、破裂リスクに対して強い不安や恐怖を感じない理由は何か。

それは要するに「リスクは最小限にできる・回避できる(水は注ぎ足せる)」からに他ならない。確率論は確率論として、そういう確信、というより「事実」があるからなんじゃないかなと思います。

なぜか仕事では

そういう考え方を仕事でもすればいいのに。そうしたらうちの会社ももっと順調になるんだろうけどなあ。
長い割には何が言いたいのかよくわからない内容になったけど、まあとにかくこんなもの早く始末して仕事頑張ろ!