なぜセカンドオピニオンを求めなかったか

二種類の聴診器

知人から質問がありましたので。

ネットで「未破裂脳動脈瘤が見つかったら」的なコンテンツをちょっと調べてみると「セカンドオピニオンは必要」だとか「セカンドオピニオンを求めるべきだ」という記述が散見されます。中には「すぐに手術を決めるのは絶対にやめるべき」とまで言い切ってるものさえあります。

「こういう場合なら~」という条件をつけるとか「したほうがいいよ」とやんわり勧めるならともかく、他人に対してなぜそこまで断言できるのか全く理解できません。
どう考えようがその人の勝手ですがそう言い切られてしまうと余計なお世話感があります。

手術の必要性自体が微妙だとか、部位が難しい場所だとか、クリッピングとコイリングの両方が選択肢としてあり得るとか、病院や医者がどうも信頼できないとか、とにかくいろいろな話を聴きたいとか、そういう人であればセカンドオピニオンが欲しいだろうと思います。必要があればサードオピニオンもありだと思います。

でも、セカンドオピニオン、サードオピニオンが要らないケースだってあります。

ぼくのような場合です。

ぼくの年齢や未破裂脳動脈瘤の場所や状態からすれば、どこの病院に行ったところで十中八九「経過観察でもいいけど手術を勧める、術式はクリッピング 」と言われるでしょう。
そして自分自身「破裂リスクより手術リスクを取る、手術はする、術式はより確実なクリッピング、手術はこの病院で、ただし時期は要検討」と決めているのです。

だったら時間とお金を使ってセカンドオピニオンを求めるのは無駄というものです。

それがセカンドオピニオンを求めなかった理由の全てです。

ぼくの未破裂脳動脈瘤が、手術の必要性自体が微妙だとか、部位が難しい場所だとか、クリッピングとコイリングの両方が選択肢としてあり得るとか、そういうものだったならばセカンドオピニオン、サードオピニオンを求めたかもしれません。

手術に対して慎重になることを否定はしません。
ただ、他人に対して「セカンドオピニオンは必要ない」「すぐに手術を決めるべきだ」「慎重になる必要は絶対にない」などとは言わないだけです。

慎重になるもならないもその人の自由意思です。

でもものすごくミもフタもない言い方ですが、手術に対してどんなに慎重になったところで、手術する以上どこまで行ってもリスクは決してゼロにはなりません(限りなくゼロに近づけたいという心情、腹を括るまでの過程で十分納得したいという心情はよく理解できます)。
また手術に対してどんなに慎重になっても、未破裂脳動脈瘤は無くなりもしなければ小さくもなりませんし破裂のリスクも今以上に低くはなりません。

起きないときは起きないし起きるときは起きます。