開頭手術の不安とか恐怖とか

このブログの大きなテーマが「不安の軽減や払拭」にあるということは何回か述べた。
未破裂脳動脈瘤が見つかったときのことや開頭クリッピング手術に対する考え方あるいは心理みたいなことについては、手術前、手術後、いろいろ書いてきた

偉そうに「不安の軽減や払拭」などと書いてはいるけど、過去投稿を読み直してみるに、それは「不安を抱えてこのブログを読んでくれる人」に対してという一方、「自分が不安を払拭したい」という意識があったのではないかと思った。
それは否定できない。というより、そういう意識はたぶんあったんだろうと思う。むしろそっちの方が強かったのかもしれない。

なんか、もう手術はとっくに終わっているのに今弱気になっているのか?w

んで、これらを読み直していて、開頭手術そのものに対する不安や恐怖について掘り下げが少し足りないかなと思ったのでこの手の投稿をしつこく書いてみる。

未破裂脳動脈瘤の破裂に対してではなく開頭手術に対してということで話を進める。

不安や恐怖は当然あった

そりゃあ、あった。
手術をすることははじめから決めていて、中大脳動脈分岐部が脳動脈瘤好発部位の中で比較的浅い部分であり症例も多数ある、難易度も高くはない、開頭クリッピング手術は枯れた技術であり、合併症のリスクも少なく(わずか5%かそれ以下)病院も医師も相応に信頼できる。
でも、人生初の外科手術がよりにもよって開頭手術な上に、合併症の発症を完全に否定しきれる根拠は何も無いわけで。
腹を括るしかないと思っていても最初っから200%腹が括れていたわけじゃない。
ただ、メシも喉を通らなくなるとか夜も眠れないとかいつも手術のことが頭を離れない何も手につかないとか、そういうレベルでは全然なかった。

死とか命とかそういうことは

死ということで考えればそれは破裂した後の問題であって、最悪のこれまた最悪の場合の死を避けるために手術をするわけだ。
だから手術に関わることについては、人生が終わるかもとか命を預けるとか、そういう「生き死に感覚」というかそういう発想にはなり得なかった。

不安や恐怖を掘り下げる

そうしたとき、自分が具体的に「何に対して」「どのような」不安や恐怖を感じているのかを考えた。

術後の痛みなどは未体験ゾーンで、嫌だけど不可避ならせめて酷くありませんようにと願う以外には何もできないからなるようにしかならない。それはもう考えない。

すると大きくふたつあるなと思った。

不安や恐怖の要因1

経過観察中に破裂しないよう気をつけることは自分でできる。
でも手術は、成功も失敗(合併症発症など)も「他人に任せる他ない」という点が最も大きいのではないかと思った。
自分ではどうしようもない。
だからみんな「より信頼できる病院を」「より信頼できる医師を」と考えるわけだ。
この点、ぼくは病院も医師もそこそこ信頼していたので、ここまで考えると「まあ、任せるしかないね」ということになってあとは落ち着いた。

不安や恐怖の要因2

もうひとつはやはり誰でもそうだろうけど合併症に対するもの。
上述のように、いくらぼくのケースが「普通」なものであっても、これの発症を完全に否定はしきれない。
「死にゃあしねえ」と思っていても、片麻痺などになれば「通常の生活を維持するために手術を受けるのに、手術を受けたことによって通常の生活を失ってしまうおそれ(まさしく恐れ)」があるわけで。
でもこれも、「他人に任せる他ない」以上「考えてもしょうがない」と思って、あとは落ち着いた。

そもそも何のための手術か

もうひとつ、逆のアプローチとして、そもそも何のために手術をするのですかということを再度考えてみると、もうこれは「破裂リスクのない通常の平穏な生活を維持する」こと以外に目的はない。
だとするなら「手術はそのための手段であり通過点」となる。
そしたら、ひとつの過程にすぎない手術のことをあれこれ考えるよりも、その先のこと、つまり「如何に早く回復するか」に目を向けた方が建設的だと思った。

ある種の開き直り

そういうわけで、考えてもしょうがないことは考えるのをやめた。
開き直りとも諦めともつかない感じで、これが「腹を括る」ことなのかどうかよくわからないけども。
考えるべきことを考えるようにした。
そうすると不安や恐怖はなくなった。

根拠なき確信

手術の約3週間前、インフォームドコンセント的な話の中で、今回の手術の難易度について主治医の見解を求めたとき彼が発した「まあ、普通」のひとことがダメ押しになった。

あとは、入院が近づいてきても、入院しても、手術の当日朝も、手術室に入ったときも、不安や恐怖を感じることはなかった。

手術は成功して無事早期回復できるという確信しかなかった。
もちろんその確信には強力な根拠はなかった。
ただそう確信しただけのことだけど、今は、そう確信することが大事だったんだろうと思う。

「開頭手術の不安とか恐怖とか」への7件のコメント

  1. 1
    SHU says:

    この投稿も読んでて簡単にコメントなんぞできないな~と、これまた消しては書き込み、また消して・・を繰り返していました。
    というのは、これこそ、手術を控えた方々の不安恐怖であり、安直な意見など書けないなと。

    経過観察をされている方にはまだピンとこないかもしれません。
    けれど手術を控えて不安だなーと手術日まで指折り数えてらっしゃるかたには参考にできる投稿になっているな、と思います。

    不安や恐怖の要因1 不安や恐怖の要因2

    ひらたくいうと「もう自分では何もできないんだから任せるしかないよね」
    これに尽きるんだろうな、と私も思います。私もその心境でしたから。
    すでに主治医が決まってらっしゃるかたはおそらく腹もくくってらっしゃることと思います。が、手術をしなければならないことは決まっている、でもまだ主治医の選択を考えあぐねている・・・という方々や、あるいは、すでに主治医がきまっているにもかかわらず、その先生に対する信頼がいまひとつ・・・って方もあるいはいらっしゃるかもしれません。

    筆者さまの主治医に対する信頼度は「インフォームドコンセントにおける「まぁふつう」が決定打となったということですが、それまで経過観察をしてらして、この先生がいいな、と思われた何かがきっとあったと思うんですね。感覚的に、性格的に、合ったというのも重要ですけど、それだけではない、何かがあったと思うのですが、いかがでしょうか。

    • 1.1
      筆者 says:

      感覚的かそうでないかの境界線は曖昧ですが、考えようによっては感覚がすべてだったかもしれません。

      まず、ぼくは「患者にとってそれなりに一大事でも、医者にとっては数ある仕事のひとつに過ぎない」と考えていまして、だとするなら「仕事のひとつで一向にかまわないから、仕事を仕事としてどうきっちりやってくれるのか」が大事だと思っています。

      そういう意味では、ぼくの主治医は必要なことはきちんと話すし、不必要なことは話さないが尋ねたことにはきちんと答えるし、基本的には終始淡々としており、かといって突き放すわけでもなく、意気込むわけでも必要以上に寄り添おうという感じでもありませんでした。
      年齢的にもおそらくはいちばん脂の乗った頃だろうし、とか、理由はいくらでもつけようがありますが、最終的には「なんだかよくわからない波長のようなもの」が合ったということなのかなと。

      最終的に「まあ、普通」と言葉に出したわけですが、それまでも主治医の態度や姿勢にも「まあ、普通」感が出ていましたから、そういうことなのかなと思います。

      あとは、半年置きとはいえ何度も顔は合わせてるしアンギオも主治医がやったし、という「つきあいの長さ」的なところですかね。

      • 1.1.1
        SHU says:

        >患者にとってそれなりに一大事でも、医者にとっては数ある仕事のひとつに過ぎない

        これは、「患者力」ともいえる大事な考え方ですよね。親を看取り、自分も持病を抱えておりますとそういう場面には何度も遭遇いたします(現在も進行中w)

        なので、医者としての仕事をきっちりできるかどうか、は本当に大事ですよね!
        患者に寄り添えと言ってるのではなく、最低限その患者の病状が完治に向かう努力を惜しまないか、というのは少なくとも私にとっては重要でした。持病もありましたので、それをきちんと聞いてくれるかも重要でした。(というか内科的疾患もある程度分かっているのかどうか、が私には重要というか。実際、蓄膿症も主治医が見つけちゃいましたし)
        個別に連ねるときりがなく、医師としてのこのような総合力?は一見「寄り添い」にも見えかねないのですが、波長やら相性とともに、私にはそれも大きかったように思います。

        でも筆者さまのお考え、非常に参考になりました。これからさらに年を重ねますと
        医者との出会いが多くなります。もう少し自分の甘えも見直さねば、と思いました。

        • 1.1.1.1
          筆者 says:

          そうなんです「治してくれるのかくれないのか」が大事で、デリカシーが無さ過ぎても困りますが外科医は別にカウンセラーじゃないんで。

          あまりに親身に感情移入されたら逆に引きますw
          DJ KOOさんの手術をやったかの有名な「匠」の上山先生が、DJ KOOさんに「私の全存在を賭けて手術します」と言っていましたが、DJ KOOさんの症例だとそうもなるでしょうけど、ぼくのような場合に主治医がそんなこと言ったら「ええっ!そこまで大事(おおごと)なんですか!?」って不安になります。

          逆に言えば、ぼくの未破裂脳動脈瘤治療なんてそのくらいのレベルのものでしかなかったということでしょう。

    • 1.2
      筆者 says:

      あー、アンギオ(血管造影検査)の経験は大きかったかもしれません。
      アンギオで入院もしてるし、手術室にも入ってるし、カテーテル入れたのは主治医だし。
      今思うにあれが手術本番の予行演習的な感覚になったかもしれません。
      極端な話「一度やってもらってるから今度も安心」的な。
      やることは全然違うんですけどねw

      • 1.2.1
        SHU says:

        アンギオ! これ私、手術の前日に初めて受けました!
        筆者さまとは逆ですよねw造影剤CTが、後だったんでしたっけ?たしか。

        アンギオって、脳外科医なら全員ができるんでしょうか。
        であれば、私は主治医でよかったと思いました(ほかの先生ごめんなさい!)
        カテーテル入れるんですよ?血管内治療が専門の先生のほうが安心・・って思うのは不謹慎でしょうか・・・

        • 1.2.1.1
          筆者 says:

          ぼくは2016年のGW中にアンギオ受けました。
          時期は未定でも手術前提ならやっておこうかと主治医が言うので「そうですか、じゃやりましょう」という感じでしたね、これももう2年近く前のことになります。
          https://www.no-domyakuryu.jp/2016/05/02/29/

          手術の前日にアンギオということは二日連続手術室ですか?
          ずいぶん急ピッチですね。

          カテーテル突っ込むのは、どうなんでしょうね?
          造影カテーテルなら脳神経外科医はみんなやるかもしれませんし、血管内治療専門医しかやれないのかもしれませんし、わかりません。

          造影CTは術後3回目のCTで初めて受けました。退院の前日でした。
          https://www.no-domyakuryu.jp/2018/02/13/2585/